江戸時代の宗門人別帳制度擬きを教育の場でしてはならない

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高校生のデモ参加、届け出は、自由を縛る

小宮山洋子

高校生が、校外のデモや集会に参加するのに、学校に届け出をさせることは必要か。

文部科学省は、届け出を容認しましたが、自治体の対応は、分かれています。

18歳選挙権が実現するので、高校生の投票も当たり前になる中で、届け出をしないとデモや集会に参加できないのでは、自由を縛ることになると危惧します。

都道府県と政令指定市を対象に、新聞社が行った調査では、4府県と2市が、「届け出は不要」という方針を決めていることが、わかりました。

文部科学省は、昨年10月、選挙権年齢が18歳に引き下げられることに伴って、通知で禁じていた高校生の校外での政治活動への参加を解禁しました。

そして、今年1月に、各地の教育委員会に対して、学校への事前届け出の導入を認める考えを示しました。

「届け出は不要」と決めているのは、宮城、愛知、香川の各県と大阪府仙台市堺市です。

一方、北海道や東京都、京都府など27の自治体は、届け出導入について、「判断は各学校に任せる」と解答している、ということです。

その他の33自治体は、「対応を検討中」「未検討」と解答しています。

「明日、デモに参加します」などという届け出を学校にしなければならないということは、どんな活動に参加するかを教員に報告しなければならないことになります。

学校は、生徒の支持政党や政策に対する賛否を把握することにもなり、内申書に響かないかなど生徒を不安にされることになります。

これでは、せっかく解禁した校外での政治活動を制限することになります。

文部科学省は、主権者教育の中で、「他人任せにするのではなく、自分の意思を示した上で、その決定に積極的に関わる機会を持つことが必要です」としていることに反する、という見方もあります。

各学校で、学校と生徒が話し合って、それぞれルールを決めるなど、もっと柔軟な取り組みをしてほしいと思います。

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民間船舶会社員を戦死させる安部極右ブラック労働者党連合政権の凶悪な所為

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民間船員を戦争に徴用するのか
社会民主党

吉田党首が参予算委で安部首相らを追及
社民党吉田忠智党首は3日の参院予算委員会で、政府が民間船員を新たに海上自衛隊予備自衛官補に採用する計画を進め、今年度予算案に(大型輸送船1隻の運航に必要な海技士資格を持つ最低数の)21人分の予算を盛り込んだことについて質問。「財政上の制約から米軍が自衛隊にリスクを押しつけ、自衛隊が民間にリスクを押しつけるという構図ではないか」と安倍晋三首相らを追及し、予算と計画の撤回を要求した。
自衛隊の「民間船舶の運航・管理事業」での民間船員活用について中谷元防衛相は「あくまでも本人の志願に基づき採用されるもので、いかなる場合でもいかなる人に対しても強制されることはない」と答弁。安倍首相も「強制できないということは明確にしている」と足並みをそろえた。
吉田党首は、同事業の業務水準要求書案には「事業者は、予備自衛官および予備自衛官補である本事業船員の確保を促進」などと記述されていると指摘。中谷防衛相は、新規採用に際して予備自衛官(補)の希望者の採用を期待しているのであり、在籍者の転換を促すものではないとした。
(社会新報2016年3月9日号より)
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■ 政治
【読書感想】丸山眞男田中角栄 「戦後民主主義」の逆襲
fujipon

丸山眞男田中角栄 「戦後民主主義」の逆襲 (集英社新書) 作者: 佐高信,早野透 出版社/メーカー: 集英社 発売日: 2015/07/17 メディア: 新書 この商品を含むブログ (6件) を見る
Kindle版もあります。
丸山眞男田中角栄 「戦後民主主義」の逆襲 (集英社新書) 作者: 佐高信,早野透 出版社/メーカー: 集英社 発売日: 2016/01/22 メディア: Kindle版 この商品を含むブログを見る
内容(「BOOK」データベースより)
軍国ファシズムを告発した戦後民主主義の思想的支柱・丸山眞男と、憲法改正には目もくれず民衆の生活向上に邁進した“コンピューター付きブルドーザー”田中角栄。辺境の少数者や、共同体のはぐれ者まで含めた、庶民が担うデモクラシーこそ政治の根幹であるとし、戦争体験とその悔恨を原点に、戦後日本を実践・体現した二人の足跡を振り返る。右傾化への道を暴走する安倍政権が「戦後レジームからの脱却」を唱える今こそ、国家による思惟の独占を阻み、闘い続けるための可能性を問う、闘争の書。
 安倍晋三首相は、しばしば、「戦後レジームからの脱却」という言葉を口にしています。
 「レジーム」というのは「体制」とか「制度」のことで、「第二次世界大戦後にできあがって、今でも続いている世界の枠組み」から、日本を自由にしたい、というのが、安倍首相の悲願のようです。
 でも、果たしてそれを日本国民が望んでいるのか?
 そもそも、「戦後」とは何だったのか?
(過去形、ではないのかもしれないけれども)
 この本では、1945年生まれで、「戦後の日本と同じだけ生きてきた」ふたりが、田中角栄さんと、丸山眞男さんの考え方、生き方を通じて、「日本の戦後」について対話しています。
 早野透さんは、序文でこう仰っています。
 「叡知」の丸山先生と「金権」の角栄では、むろん違いすぎる。大正デモクラシー時代から戦争期になり、ともに二等兵として徴兵され、同じ年代を生きたふたりとはいえ、「戦後」になってからのふたりは、丸山先生は武蔵野の旧屋に住み、角栄は目白御殿を構えて、住む世界もあまりに違うではないか。接点のありようもない。
 ただ、共通点といえば、ふたりとももったいぶらない人柄で、わりとおしゃべり好きだった。そこに含まれる言葉の面白さは心に残る。「学問」に裏打ちされた丸山先生の言葉と、現実を生き抜いた田中角栄の「世知」の言葉の違いはあるけれども、それは人々に伝播して、それぞれ時代をつくる言葉となる。佐高信と私がたまに会って「戦後」という我々が生きてきた時代を振り返ると、そうだよなあ、俺たちの「戦後」の上半身をつくったのは丸山眞男、下半身をつくったのは角栄だったんじゃないか、そんな話で盛り上がるようになる。
 我々の生きた「戦後」は、まず「平和」への熱望、そして少しでも豊かに暮らしていきたいという「繁栄」への憧憬、このふたつのキーワードに集約される。そこには、戦争でひどい目にあった人々の、もうあんな時代は二度と来てほしくないという思いがあったはずである。ところが、その「戦後」が、ときどき自民党政権の政治家からヤリ玉にあげられるようになる。
 田中角栄という人は、毀誉褒貶が激しいというか、1970年代前半生まれの僕には、ロッキード事件の印象が強いので、「派閥政治・金権政治の親玉」なのですが、僕より上の年代の人たちには、また違った見かたもあるようです。
早野透:2015年の元旦にNHKが戦後70年特集をやりました。タモリ、半藤利一さん、中園ミホさんという脚本家が出演していた番組です。これが面白かった。「戦後を象徴する人物」というお題で、NHKが3600人の世論調査をした。すると1位が田中角栄、2位が吉田茂、3位が昭和天皇、4位がマッカーサーという結果でした、吉田、昭和天皇マッカーサーは、上から、あるいは外からの民主主義を代表していますよね。
 5位が、なんと佐藤栄作です。6位が小泉純一郎
 ちなみに、田中角栄さんは「ダントツのトップ」だったそうです。
 戦後の「偉人」ではなく、戦後を「象徴」する人物として、田中角栄さんは、人々の心に残っているのです。
 圧倒的な行動力で高度成長を実現したという功績と、拝金主義に陥り、ロッキード事件で逮捕されながらも、田中派を通じて政界を牛耳り続けた、という両面性もまた、「戦後らしさ」だとみなされているのでしょう。
 田中角栄という人が行なってきた「地方への利益誘導」というのも、見かたによっては、「絶対悪」ではないんですよね。
早野:角栄は経済官僚の中に身を置いて、しかし官僚に毒されずに、むしろ官僚を使う。経済は戦争ではなく平和が前提だという立場があって、その象徴が角栄ですよね。しかし経済官僚派の中でも発想の違いがある。経済官僚主導による企業の復興という方向と、そうではなく角栄のように生活経済の拡充に向かうという志向と。もちろん道路や橋を造るのは企業の便益にもなるけれど、角栄は生活経済の極限のところに向かう。
 たとえば小千谷市の塩谷地区です。そこは住宅が60戸しかない孤立集落だった。住人たちは戦前に7年かけて自分たちで造った手掘りのトンネルで行き来をしていた。トンネルといっても自動車は通れない。そこに角栄は12億円をかけてトンネルを造るわけです。こういう例は新潟三区には多々あって、旧山古志村の小松倉の中山トンネルもそうです。当然のように、受益人口に対して財政投資の額が合わないという批判が殺到する。しかし、角栄は財政よりも100人、150人の生活を優先させるんです。そこに最後の尻尾のように繋がるのが、小沢一郎の「国民の生活が第一」なんですけれど、しかしながら私は、小沢が生活の人だとは思いません。小沢はやはり政局の人です。
早野:のちに角栄は、田中派という多数支配、強権支配に走っていく時期もあったけれども、その思想の根底には少数意見への想像力があった。だから「10人の兄弟がいれば、ひとりくらい共産党になるのだ」という、得意の台詞も出てくる。これは裏返して、政治思想や支持政党は違っていても、親が死ねば皆集まるという言い方もしていた。これは彼が持っていた、日本の共同体への郷愁でもある。一方の丸山先生は学問の力で、ヨーロッパ普遍主義のほうに飛翔して、そこから日本の前近代性を批判する。丸山先生の理知的な戦後と、角栄の肉体的な戦後というふうに、ひとつの対称性をもっている。
 田中角栄がやったことは「非効率的」ではあったけれど、「少数派のために、効率を考えずにお金を遣う」というのは、ある意味「社会福祉」であり、こういう「偏り」を実現するのが政治の役割、というところもあるんですよね。