亀井亜紀子さんの優れたひとことです


集会・デモは無意味ではない。

亀井亜紀子


 安全保障法制が山場を迎えました。SEALDsという学生グループが立ち上がり、彼らに触発される形でOLDsやら高校生グループやら「ママの会」やら、様々な市民グループが自発的に集会・デモを行っています。それでも安倍政権は安保法案を強行採決する構えであり、石原慎太郎氏は「国会前のデモは無意味」、橋本徹氏は「こんな人数で国家の意志が決定されるなら、サザンのコンサートで意志決定される方がよほど民主主義だ。」とコメントしています。ずいぶんと上から目線ですねと思います。

 ただデモの効果については私も長年、疑問に思っていました。強行採決を止められないなら、デモは無意味とは言わないけれども影響力はないのではないかということです。それは1960年の安保闘争、いわゆる60年安保の結末から私が感じてきたことでした。

 60年安保の頃は私も生まれていなかったので、ニュース等で流れる映像や写真でしか知りません。国会正門がデモ隊に突破される様子を見て、また東大の女子学生が1人亡くなったことを聞いて、「こんなに激しいデモがかつて日本にもあったんだ…。」という驚きと、「この人達は一体、この後どうしたんだろう?」という疑問でしかなかった。日米安保が改定されても平和は続いているので、「安保闘争とは何だったのか。どうしてあんなにデモ隊は大騒ぎしたのか。」というのは素朴な疑問、というか「謎」でした。

 こういう気持ちは当時を知らない多くの人が持っているのではないでしょうか。特に保守系の人には共通しているかと思います。保守系というのは東西冷戦時代に西側に立っていた民主主義、資本主義を支持するグループという意味で使っています。政党でいうなら自民党。それに対して革新系というのは東側に立っていた共産主義社会主義を支持するグループ。政党でいうなら共産党社会党であり、いわゆる「左翼」と言われる人達です。私の立ち位置はもちろん保守系です。父は20年以上、自民党の議員をしていましたから、そういう環境で育ちました。当然、日米安保体制には賛成であり、命懸けで安保改定を阻止する真意が全くわからなかった。デモ隊の「取り越し苦労」だったのではないかと思っていました。

 ただ最近、労組系の人と話してわかったことがあります。私は「安保法案は止めなければならない。強行採決されたら、政権交代させて廃案にするまで諦めてはいけない。」と思っているのですが、その人は「安保法案は止めなければならないし、止められなくても使えないようにしなければならない。」と言ったのです。はじめはその意味がさっぱりわからなかった…。そしてようやく「左翼」と言われる人達の安保闘争に対する考え方がわかりました。

 要するに60年安保の時に岸信介総理が目指したことは、まさに今、安倍総理がやろうとしていること、つまり日米安保体制を軍事同盟として、日米を一体化させることだったというのです。本当は60年安保で集団的自衛権も使えるようにしようと考えていた。ところが安保闘争が激しくなり、人命が失われるほどの事態になったことで、安保改定をしたにも関わらず目指していた使い方ができなくなった。そして歴代の自民党政権は「集団的自衛権は保持しているが行使せず。」、「憲法9条の下では行使できない。」という見解に落ち着き、結果として平和憲法の下で70年間、平和が続いたのです。自民党は経済成長に力点を置く政党になり、安保体制を変えることには触れなくなった。そこに安倍総理が誕生し、「戦後レジームからの脱却」、「おじいちゃんの夢」を実現しようと暴走し始めた…。だから仮に安倍総理強行採決しても、国民が怖くて法律が適用できないほどにこの運動を大きくしなければいけない、続けなければいけないと思ってデモに参加している。そういうことなのです。この度の安保法案に際して学者達が声を上げ、60年安保の総括に関しても聞く機会があったので、ようやく私の長年の疑問が解消しました。

 私は「戦後レジーム」を変える必要はないと思っています。戦前回帰はしたくない。集団的自衛権の行使は必要なく、行使するのなら憲法改正が必要です。今、安倍政権がやろうとしているのはヒトラーと同じこと、選挙で選ばれた政権が独裁政権に変貌して憲法無視して暴走する…というファシズムに向かう道です。それは止めなければならない。

 安倍政権は60年安保の時のように法律さえ通せば、力によって抑えつければデモはなくなり、何事もなかったかのように収まると思っているのでしょう。けれども60年安保は何も残さなかったわけではないのです。ですから仮に強行採決を止められなくても、このデモは戦いの一歩でしかありません。民主主義の究極的な意志決定は選挙ですから、安保法制を使わせないように国民が圧力をかけながら、次の選挙で政権交代を目指さなければならないと思います。

 私はかつて国民新党にいたので、郵政解散で小泉総理が圧勝した時も、野党が結束して政権交代を実現し郵政民営化法を凍結することを当たり前の目的として目指していました。国民新党を創設したメンバーは5人ギリギリで自民党は強大。結局、政権交代、凍結法成立、改正法成立まで7年かかりましたが、諦めたことはありません。「無理だ。」という空気になったこともない。本当です。どうやって実現するかということしか考えていませんでした。

 ですから今現在、自民党が一強と言われる状態であっても、私は何とも思わないのです。郵政選挙直後の国会は、小泉総理の演説に呼応して与党議員、特に小泉チルドレンがいちいち大きな拍手を送る様子が異様で、当時現職だった父が「ファシズムみたいだ。」と気持ち悪がっていました。議員の3分の2が与党議員ですから本会議場の雰囲気が一変していた。それでも政権交代は起きたので、安倍総理がこれだけ滅茶苦茶に暴走すれば、後で収拾がつかなくなるだろうと思っています。政府答弁がこれほど論理破綻しているのも見たことがありません。

 だから諦める必要はないし、デモは無意味ではない。無力でもない。日本の民主主義を国民の手で守る為の第一歩です。特に若い世代は実際に戦場に送られる世代ですから自分達の将来は自分達で決める。そういう意志を持って戦ってほしい。私も粘り強く政治活動を続けていきたいと思います。

小宮山洋子さんのひとこと

■ 政治
違憲の法律に声を上げ続けるにはエネルギー源が必要
小宮山洋子

国会は、本会議での問責決議案、不信任決議案などで、採決を延ばしていますが、違憲の疑いが濃い安保関連法案が、与党の数の論理で押し切られ、成立するのは、時間の問題です。

成立したら終わりではなく、これからもひとりひとりが考えて、声を上げ、行動を続けていくことが大事だと思います。

あれだけの国会を取り囲み、各地で抗議活動をした人達が、このまま黙っているはずが、ありません。

それぞれの生活の場や仕事の場で、可能な活動を続け、政治を変え、法律を変えていくしかないと思います。

そのためには、エネルギーが必要。

私は、第3の人生、充実した軽井沢ライフから、多くのエネルギーと、素晴らしい人とのご縁をいただいています。

例えば、昨日は、実は私の誕生日だったのですが、通常と変わらず、図書館を支援する友の会の打ち合わせを昼にしました。

午後からは、軽井沢文化協会の理事会・「軽井沢たより」の編集会議をし、その後、離山図書館のラウンジ文庫のチェックをして、家に戻ったのは日が暮れる頃でした。

今日も、午前中は、10月に依頼されている講演の打ち合わせの方が家に来られました。

これから、15時には家を出て、毎月行っている、児童養護施設佐久市グループホームで、子どもたちのリクエストに応えた夕食作りです。