極右国家社会ブラック労働党の稲田ともみは歴史無教養

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大阪府警の2名が、沖縄で、

土人支那人

と、沖縄県民を嘲笑い、罵った
それに対して

府知事は褒め称え、賛美し、政府は問題なしとした。

(ひょっとして、立派だと昇進させたかも知れません)

これは、極右国家社会ブラック労働党とそれに追随する野党が本性を露にしたにすぎません。
これらの現極右政権が、南京事件時代にタイムスリップすれば、

「大虐殺どしどしせよ。支那人根絶やしにせよ。」

となるのです。

国民は、彼らの狡猾獰猛な凶悪犯罪性を読み取り、選挙においては、不支持としなければなりません。

彼らの、ブラック労働、派遣労働の際限なき拡大政策は、九割超を占める国民を、かつての大日本帝国時代に、「臣民、軍人の命などは鳥の羽(鴻毛)よりも軽いとされ、使い捨てにした」ことの現代版であるからです。

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以下はブロゴス記事より

■ 政治

稲田朋美防衛相は未だに暴言を
吐き続ける

 祖国のために命をささげた ではなく

 国によって殺された人たちだ

猪野 亨

稲田朋美防衛相は真珠湾から帰ってくるなり、いきなり靖国神社を参拝するという暴挙を行いましたが、

稲田氏は真珠湾に赴くときは、何と「まるで小学生が修学旅行に向うように満面の笑みをたたえていた」そうです。

参照

「稲田防衛相は軽量級から超軽量級に」(大西 宏のマーケティング・エッセンス)

 この人だからの靖国参拝なんだなとは思いましたが、その弁明は従来の暴言を繰り返すひどいものです。

「稲田防衛相 靖国神社に就任後初の参拝 「どの国でも理解頂ける」」(NHK2016年12月29日)

「稲田防衛大臣は29日午前、就任後初めて東京・九段の靖国神社に参拝し、「祖国のために命をささげた方々に対し、感謝と敬意と追悼の意を表することは、どの国でも理解して頂けると考えている」と述べました。」

 祖国のために命をささげたとはどういう場面を想定しているのでしょう。

 日本は未だかつて外国からの侵略を受けたことはありません。あるとすれば蒙古襲来のときだけです。

 侵略者に対し、祖国を守るために命を失うことになったというのであればまさに祖国のために命をささげたという評価になるでしょうが、

明治維新からアジア・太平洋戦争終結まで日本は海外の人的資源、物的資源を強奪することを国是とし、そのために軍事を最優先にしてきました。

そのため外国との戦争に明け暮れてきたのです。

 その過程では、軍人の命などは鳥の羽(鴻毛)よりも軽いとされ、使い捨てにされてきました。

 国家予算の多くを軍事費に使ってしまっていたんですから、国家財政が窮乏するのは当然なのですが、日本の指導者たちはなおも外国からの富や土地の強奪によって乗り切ろうとし、それが満州事変となって具体化されていったのです。

 満州は帝国の生命線などといって満州事変を引き起こし、他国の土地や資源を強奪したのですが、そのようなやり方が許されようはずもなく、世界の反軍国主義の包囲網によってもろくも崩壊しました。

 その中で多くの日本国民が死に追いやられたのです。これが国に命をささげたなどとよくも言えるものです。

 神風特攻だって、死ななくていい若者が犬死にさせられたのです。

「「KAMIKAZE」がダメ? またまた特攻の美化が始まった」

特攻で死んでいった若者 その死は犬死にだった


 これを国のために命をささげただなんて、あの戦争で死んでいった人たちをよくもここまで冒涜できるものです。

 稲田氏は、中国、韓国から反発されるのではないかという記者からの質問にも全く的外れな答えをしているだけでなく、あまりに相手を侮辱する暴論です。

「稲田大臣は、記者団が「中国や韓国の反発も予想されるが」と質問したのに対し、「いかなる歴史観に立とうとも、いかなる敵、味方であろうとも、祖国のために命をささげた方々に対し、感謝と敬意と追悼の意を表することは、どの国でも理解して頂けると考えている」と述べました。」(前掲NHK

 中国や韓国を侵略してきた日本兵が祖国のために死んだのですか。

 侵略という違法なことの手先をさせられて韓国や中国で、残忍な虐殺行為を行ってきた、そのために戦死という結末を迎えたことが祖国のために命をささげたということになるのですか。

 やはり最後は、B級戦犯として処刑された松井石根の言葉を記しておきたいと思います。


南京事件ではお恥ずかしい限りです。南京入城の後、慰霊祭のときに、支那人の死者もいっしょにと私が申したところ、参謀長以下、何も分からんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめ、あんなことをしたのだ。

私は日露戦争のとき、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。

日露戦争のときは、支那人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても、俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。

今度はそうはいかなかった。

政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とはまったく変わっておった。

慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。

そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが、せっかく皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまった。

ところが、そのことのあとで、みなが笑った。

はなはだしいのは、ある師団長のごときは、当たり前ですよ、とさえいった。

したがって、私だけでも、こういう結果になるということは、当時の軍人たちに一人でも多く、深い反省をあたえるという意味で大変に嬉しい。

せっかくこうなったのだから、このまま往生したい、と思っている。

稲田朋美防衛相は日本の恥を世界にさらす 極右であることを隠そうとしても無駄  訪中希望なら南京へどうぞ!」