金で、政府内閣政権政党を買いましょう。国家を言いなりに動かすため

金で日本政権を買って、財界独裁体制を作りましょう。

民主主義など無用の長物だから。

人口の1%未満である我々超高額所得者階層の召し使いとして政府を使いましょう。

我々財界は、金で買い取り、我らの使い走りとして政府を使うのです。

との、趣旨の代金支払いは、憲法全条文を通しで判断し違憲献金と判断し国家反逆所為であり、内乱罪相当として、永久禁止すべきものです。

以下はブロゴス記事です

政治
主張/経団連献金要請/利益還元はわいろでないのか

しんぶん赤旗

 国内の主要な大企業や業界団体が参加する日本経済団体連合会経団連)が今年も会員企業や団体に政治献金を呼びかけることを決めました。経団連献金呼びかけは榊原定征氏(東レ最高顧問)が会長に就任して以来3年連続です。正式には来週の幹事会で決まりますが、経団連は同時に政党の通信簿というべき「政策評価」を発表しており、献金は事実上、経団連に政策が近い自民党などへの献金を促すものです。大企業は安倍晋三政権の経済政策「アベノミクス」のもとで大もうけを続けています。献金は文字通り政策の買収、利益の還元そのものです。
献金通じて政権と蜜月
 経団連は榊原会長の前の米倉弘昌会長時代、安倍政権との「不協和音」が話題になることもあったのに、榊原氏が会長になった途端、政治との関係強化を打ち出し、政権との蜜月を続けています。そのやり方は首相官邸主導の経済財政諮問会議などの「司令塔」に財界を代表して参加、政策運営を牛耳ることなどですが、榊原氏が会長になって再開した企業献金の呼びかけと「政策評価」も、自民党などへの献金を通じて政権の政策を左右する重要なテコです。
 経団連は政党に対する「政策評価」を通じて献金を促しているだけで、実際に献金するかしないかは企業の「自主的」な判断だといいます。しかし、環太平洋連携協定(TPP)の早期発効や原発の再稼働、法人税の実効税率の引き下げなど経団連に都合の良い政策を選んで、「経団連の方針に合う」(〇)、「いま一つ」(△)、「合わない」(×)などとまるで通信簿をつけるように政党を評価するやり方が、経団連に近い与党とりわけ自民党に有利なものになるのは間違いありません。「政策評価」は事実上、経団連が望む政策の実行と引き換えに自民党への企業献金を促す、“政策買収”です。
 かつて企業献金といえば、経団連が大企業や業界団体ごとに献金額を割り当てるものでした。「政策評価」による献金要請開始後も実際には企業の規模に応じた横並びの献金が続いています。経団連は「自由主義経済を守るため」などと言い訳しますが、企業が特定の政策の実現のために献金するのはまさに買収そのものであり、もうけの見返りに献金する企業献金の本質を浮き彫りにするものです。
 経団連献金要請を再開して以降、自民党やその政治資金団体国民政治協会」への献金額は増え続けています。榊原氏の出身企業の東レトヨタ新日鉄などの巨大企業が相次いで献金しており、昨年には長らく献金を中止していたメガバンク(巨大銀行)も献金を再開しました。


経団連献金要請はまさに金の力で政治をゆがめる財界の政治支配です。
大企業のもうけを還元
 安倍政権は「アベノミクス」と呼ばれる経済政策で低金利や株高などで企業のもうけを増やす経済運営を続け、実際、大企業を中心に企業のもうけや内部留保は記録的な伸びを続けています。大企業の大もうけを保障し、その見返りに自民党などへの企業献金を促すのは財界・大企業による政治支配、利益の還元です。
 金の力で政治を牛耳る企業献金は政治腐敗の元凶です。企業・団体献金経団連献金あっせんもきっぱり中止すべきです。

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強制過労させ、従業員を殺すのが、社訓である殺人企業、電通

■ ライフ
電通過労死認定から、この国の非常識な「普通」を考える。の巻 - 雨宮処凛
マガジン9

また起きてしまったか…。
 電通に勤めていた24歳の女性・高橋まつりさんの死が労災認定された報道を受け、最初に浮かんだ言葉だ。
 東大を出て電通に入社し、わずか1年足らずで奪われてしまった命。生前に発信されたTwitterを見ると、睡眠時間2時間という超長時間労働や、上司によるパワハラなどの過酷な実態が浮かび上がってくる。そうして昨年クリスマス、彼女は寮から飛び降り、還らぬ人となってしまった。
 報道などでも触れられているように、電通では1991年にも入社1年5ヶ月の24歳の男性社員が自殺している。この事件について、私は20代の頃、裁判記録を読み込んでいる。そうして当時の自分が書いたものを改めて読み返すと、今回の事件とのあまりの類似性に頭がクラクラしてきたのだった。
 例えば、長時間労働
 亡くなった高橋まつりさんは、SNSで「もう4時だ 体が震えるよ… しぬ もう無理そう」「土日も出勤しなければならないことがまた決定し、本気で死んでしまいたい」と書いている。
 一方、91年に亡くなった男性社員の長時間労働も凄まじい。男性は91年8月に自殺したのだが、4〜5日に一度の割合で深夜2時過ぎまで残業し、亡くなる直前の7月、8月は、3〜4日に一度の割合で朝6時半までの残業を強いられている。連日の睡眠時間は30分から2時間半という状況が続いていた。
 そんな過労状態によって男性は追いつめられ、「自分は役に立たない」「人間としてもう駄目かもしれない」などの言動が見られるようになる。また、無意識に蛇行運転をしたりパッシングをしたりといった行動もあり、「霊が乗り移った」などといった言動も見られるようになった。顔色も悪く、痩せて顔に赤い斑点ができるようになり、喉やコンタクトレンズの不調を訴えていたという。
 翻って、高橋まつりさんの死を巡っては、上司による「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」などのパワハラ発言も問題となっている。一方、91年に亡くなった男性も、壮絶と言っていいパワハラを受けていた。資料を読み込んでいて私がもっとも衝撃を受けたのは、宴席でのハラスメントだ。その内容は、革靴にビールを入れて飲ませるというもの。飲まなければ、靴の踵で叩くのだという。上司は、「面白半分に」やっていたと証言している。
 この事実を知って、私は日本の企業社会が心の底から怖くなった。

信じられないほどの幼稚さと、信じられないほどの陰湿さが同居した部下いじめ。
 ハラスメントは、過労死・過労自殺に必ずと言っていいほどつきまとう。ここまで書いて、以前取材した過労自殺事件を思い出した。99年、30代で自宅マンションから飛び降り、亡くなったXさん(男性)。彼が勤めていたのは大手機械建設メーカー。成果主義裁量労働制が導入されてから長時間労働が常態化した職場で、Xさんは月に300時間近い労働を強いられ、弱音を漏らすようになっていく。
 「人間には限界がある。しかし、僕の場合、もうとっくに限界を超えてしまっている」「自然に還りたい」「僕は自転車をこいでいるようだ。疲れていてもこぎ続けなくてはならない。もう、疲れた」
 そんな中、上司に何度もダメ出しされ、何度もやり直した仕事が納期に間に合わなくなってしまう。上司はみんなの前でXさんを激しく叱責。また、この会社の社員行きつけのパブにXさんが行けば、そこでも上司はXさんを虐める。
 このXさんのお姉さんにインタビューさせて頂いたのだが、印象に残っているのは以下のような言葉だ。
 「本当は、はっきり言えば上司なんですよ。かならず過労死って3人くらい、上司がかかわっているんですよ。ダメな上司が3人いると死んじゃう。ほかの遺族の話を聞いてもやっぱり3人なんですよ。弟は飛び降りる5時間くらい前に『Bさんに申し訳ない』って言っているんですが、そのBさんが弟にじゃんじゃん仕事を与えていたんです。それから『Aさんはイヤだ』と。Aさんというのは(Xさんの死後)うちに来た上司です。もう一人、営業の人で弟をからかっていた上司もいました。弟がお客さんに怒られたりすると、みんなの前で、大声で『お前が怒られるようなことやったんだろう』とか、弟は夜しか気分転換の場所がなかったのでお酒を飲みに行くと、そこでもやはりみんなの前で大声で辱める。『こいつはまだおっぱいが必要な奴なんだからよろしくな』って。これってパワハラですよね。弟としては、人間として許せない上司が3人もいた職場だった。上司には反省してくださいって言いたいです。どういうことがあったか、逃げないで直視してほしい」
 (この事件について詳しく知りたい人は『生きさせろ!  難民化する若者たち』を読んでください)
 ちなみにこの会社では長時間労働が蔓延していたわけだが、裁量労働制という言葉の下、社員の労働時間をまったくと言っていいほど把握していなかった。


例えばXさんの死後、会社は「亡くなる一週間前に2回くらい早帰りしていた」と主張していたのだが、その2日間は出張していたなどの事実が明らかになったのだ。そして恐ろしいのは、この会社ではXさんの死の半年後、第二の犠牲者が出ていることだ。Xさんの同僚が自殺したのである。
 過労死・過労自殺の問題が他人事に思えないのは、私自身も自らの弟の過労死を本気で心配したことがあるからだ。本などでも書いているが、2歳年下で就職氷河期世代の弟はフリーターを経て家電量販店の契約社員となり、1年後、正社員となった。正社員になるにあたって「残業代は出ない、ボーナスは出ない、労働組合には入れない」という誓約書を書かせた会社は、そこから連日17時間労働を弟に強いるようになる。休憩は1日30分足らず。みるみる痩せていく弟を心配した私は、周囲の友人知人に状況を説明した。
 「それ、絶対おかしいよ」という言葉が返ってくると思っていた。しかし、私に投げかけられたのは、「正社員だったら今時それくらい普通だよ」という妙に冷たい言葉だった。何人もに、そう言われた。ほとんどの人に心配すらしてもらえなかった。
 弟が過労死するかも、という状況と同じくらい、その言葉は私にとって衝撃だった。そして過労死や過労自殺がなくならない理由が、その言葉に集約されている気がした。
 その言葉は、おそらく本人が自分を納得させるために言い聞かせているものなのではないだろうか。どんなに長時間労働でも、メチャクチャなノルマを押し付けられても、今時、これくらいのことは普通なのだ。当たり前のことで、それについていけないなんておかしいのだ。甘えているのだ。
 そうやってギリギリのところで踏ん張っているからこそ、「辛い」という人が許せない。弱音を吐く人が癪に障る。「ついていけない」とか「無理」なんて、一番の禁句だと信じ込まされているから。
 そう思うと、時に部下を死に追いつめる「パワハラ上司」たちも、過酷すぎる労働環境の中、過剰適応の果てに心が破壊され尽くした存在のようにも思えてくる。部下に靴でビールを飲ませるなんて、自らが相当「壊れて」いないとできることではない。
 だけど、仕事によって心まで壊され、お互いを追い詰め合う先に、一体何があるのだろう。有能で従順な労働者になればなるほど、この国の労働環境は逆に過酷になっている気がして仕方ないのだ。


時に誰かをいじめ殺したり、死者が出ることが前提の組織や働き方は、絶対におかしい。どうしてこの国の人々は、それほどに「仕事」の優先順位が高いのだろう。
 ちなみに、あまり仕事の優先順位が高くないというイタリアでは、2014年の大晦日、警備の警察官の8割が欠勤したという(朝日新聞2016/9/21)。驚くが、なんだかちょっと羨ましい話だ。
 「命より大切な仕事はありません」
 高橋まつりさんの母親は、会見でそう言った。日本以外の国で、それはわざわざ言葉にしなくてもいいほどに、おそらく当たり前のことなのだ。
 15年度に過労死で労災認定された人は96人。未遂も含む過労自殺は93人。また、今月、フィリピン人実習生の死が、長時間労働による過労