人類への警鐘

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武田邦彦氏の下記の考えは、明治命時代からの、日本における産業のすることは、すべて善であり、危険有害産業廃棄物を自然界に垂れ流し流出するを防止したり、労働災害防止装置など設置することは、無駄使いであるとする、いわば、固定観念・国家政策を真摯に見る時に必要不可欠な視点です。

仏教を信仰する者であれば、武田氏の視点を持つのが信仰のあらわれでありますから、大半の企業経営者や官僚らは、この視点を具有してはいませんから、日本では、未だに、仏教は布教されているとは言いがたいものです。

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■ ライフ
科学の進歩と人間シリーズ(3)
武田邦彦

人類の実質的な寿命を8倍にして、苦痛を除いた科学技術が、一方では人類を500回も殺す兵器を増産するという両面性を持っていることを指摘しました。そしてこのような異常な状態になる理由が社会にあるらしいことが判りました。

そこでまず、「科学と社会」をどのように考えるのか、難しい議論があります。それは「原爆を作る方が悪いのか、原爆を使う方が悪いのか」というものです。もし科学者が原爆を作らなければ、もともと原爆はできません。もし科学者が原爆を作ってもそれを社会が使わなければ原爆は使われません。そのどちらが良いかというのは長い間、議論されてきました。

このことについては私は固い信念があります。私の信念が正しいかどうかはわかりませんが、長い間、科学者として技術者として仕事をし、多くの政治家、経済学者、文学者、科学者、技術者、それに医師、弁護士などの方とお会いし、話をしてきましたが、どうも「科学者や技術者」は社会全体を見てバランスのよい判断をしているようには見えないのです。

科学者(ただしくは自然科学者)や技術者という仕事は、若い頃から「物」を相手にして「人」との接触がすくなく、もともと人にはあまり関心が無いし、歴史や文学などは苦手な人も多いのです。

そうするとこれまでのことや人間の性質などに疎いので、「新しいものを作る」のは良いのですが、それが社会にとって良いかどうかの判断は少なくとも標準的ではないと思います。

結婚して間もない頃の私は典型的な技術者でした。歴史や文学が好きで学校のころは歴史書や小説を読みふけったものでしたが、技術者になってからは頭の中は「物」だけが閉めていたのです。ある時、家内と二人で東京の山手線のホームで電車を待っていたときのことです。向かい側のホームに京浜東北線が入ってきたので、私は家内に「モーター車が3台しか無いんだね。ディスクブレーキには変わっているけれど」と言ったら、家内は「なんですか?それ」と訝しげに返事をしました。

ホームの向こうに電車が入ってくると私は「モーターは?ブレーキは?パンタグラフは?」と興味がわいてくるのですが、おそらく家内は「どんな人が降りてくるのか」と見ていたかも知れません。若き技術者は社会では特殊な生活を送っているのです。

そんなことがあり、私は「科学者や技術者は作品をショーウィンドウに飾るのにとどめるべきだ。その作品を使うかどうかは社会が決める」という考えになったのです

ただ、作品をショーウィンドウに飾るときに「ウソの説明を書かない」ということが第一に必要です。たとえば原発ですと、原発が良いか悪いかは判断せずに、ショーウィンドウに飾り、説明書に「この原発震度6ではほとんどの場合、破壊され、30年ごとに1回ぐらいは大爆発します」と書くということです。

たとえば「原爆は作ってはいけない」というのは当然のように思いますが、戦争の時に使うものは多いので、「刀は良い、ピストルは?機関銃は?焼夷弾は?ナパーム弾は?ジェット戦闘機は?爆撃機は?原爆は?」と個別に考えると結構、難しく作る側の人が決めるのはなかなか困難です。

「敵が攻めてきたら君の妻子も皆殺しになる。国を守るために銃ぐらいはいる」と言われるとそんな気もしますし、兵器を作る側の技術者はどんな兵器でも「気が向かないけれど、命令なら」という気分ではいるけれど、断固、拒否するというところまでは難しいのです。

科学技術で問題が起きる多くの場合は、科学者がその作品をショーウィンドウに飾ったことが原因ではなく、説明が不十分だったり、社会がある熱狂に巻き込まれていて説明を冷静に聞かなかった時に起こるようです

■ メディア
中国赤十字に対する「醜聞」

 『西部網』に「・十字会否・扣留日本企・所付中国・工慰・金」(赤十字会は日本企業の中国人労働者に対する慰問金の内部留保を否定)という記事があり、いろいろ興味を引かれたので、これについて少し。

 もともとこれは、第二次世界大戦中に、鹿島建設秋田県内の花岡鉱山で中国人を強制労働させた「花岡事件」に端を発するものです。1989年になって、強制労働を強いられた旧中国人労働者が謝罪や補償などを求めて裁判をおこしました。いろいろ紆余曲折があったものの、二審の東京高裁で和解が成立し、鹿島建設は5億円を中国赤十字に預託し、旧中国人労働者の補償に当てられることとなりました。

 ところがネット上で、中国赤十字がこの5億円の内半分の2億5000万円を勝手に「費用」の名目で内部留保として勝手に使用しているのではないかという噂がたったことを受け、それを否定する声明を中国赤十字のHP上に発表したというものです。

 それによると、この金は520名の花岡事件の強制労働者の捜索費用、彼らが日本に行って関係行事に参加するための費用、各種教育活動費用等として使われており、日中友好に役立てられているそうです。また、きちんと国家の関係規定や赤十字財務規定等に基づいて使われており、国の監査を受けているとしております。

 実はこうしたことが話題になるには原因(背景)があり、これまでも中国赤十字が本当に義捐金をその本来の目的のために使用しているのか、自分たちで勝手に使ってしまっているのではないかと思わせる事件が多発しているためです。

 例えば、今年4月にマイクロブログ・新浪微博で宛名が「上海市盧湾区赤十字会」となっている額面が9859元(約12万円)の領収書が公開され話題となりました。そのため、赤十字はきちんと調査をしてどのようなことが行われたか公表するとしました(参照記事『新華網』「网・称上海・湾・十字会一・・花9859元(・))。すいません、この後これがどのようになったかわかりませんが、おそらくウヤムヤになったと思われます。

 それに何と言っても中国赤十字と言えば「郭美美Baby」事件があります(参照記事『西部網』「一20・女孩?富引・・十字信任危机」)。これは今年6月に、これ又マイクロブログで、「郭美美Baby」と名乗る若い女性(20歳)が、豪華な別荘に住んで、エルメスのかばんを提げて、高価なスポーツカーやドイツ馬に乗っている様を写真で何度も公開して自分の金持ちぶりをこれでもかと見せびらかしたものです。

 当然このようなことをすれば反感をかうことになりますが、彼女の場合「中国紅十字会商業総経理」と名乗ったため、中国赤十字の金が彼女に流れており、それでここまで豊かな暮らしができるのではないかと、大いに疑惑を生むこととなりました。


 特に中国赤十字の郭長江副会長と一緒の飛行機に乗っている写真も見つかったりして、本当にあやしいとなりました。しかし、これも結局彼女は中国紅十字会商業という会社の総経理でも何でもなく(それ以前にこうした会社は存在しない)ただの女優にすぎず、赤十字とは何の関係もないということになったのですが、そうであれば誰があれだけの金を彼女に金を提供したのか疑問はつきません。

 こうしたことが続けば、当然誰もが「又か」と思うはずであり、信用されるはずなどありません。信用を取り戻すためには情報公開などが求められるわけですが、中国では公表された情報それ自体が信用できないので、打つ手なしといったところでしょうか。

 土台中国人は何だかんだいって政府すらどこまで信用しているかわからないわけですから、ましてやこうしたところがどれだけ信用されるかとなると、言うまでもないかもしれません。そして、問題は中国の場合こうした機関の設立が制限されていることであり、競争がないこと等による弊害と言えるかもしれません。

 寄付が文化として成り立つには、その前提として、自分の寄付した金がきちんと寄付をした者の目的通りに使われることということが必要なわけですが、現在の中国では望むべくもないというのが現状でしょうか。