■ ライフ
プレミアムフライデー働き方改革
小宮山洋子

昨日2月24日、政府と経済界が旗振りをして、月末の金曜日に仕事を午後3時に切り上げる「プレミアムフライデー」が、スタートしました。 早く仕事を終えることで、消費を増やしてもらいたいということが第一にあって、合わせて労働時間も短くするという二兎を追うもの、といわれています。
総理や経団連会長も、座禅をしたり、ご夫妻で買い物をしたりした、と報じられています。働き方改革にもつながるなら、よいとは思いますが、月末の金曜日に午後3時に仕事を終えられる労働者が、どれだけいるのでしょうか。
SMBC日興証券によると、早帰りできる業種の人は、大企業でも360万人ほどで、公務員と合わせても就業者数の6.5%程度と試算しています。また、消費の押し上げ効果は、1年で635億円にどどまり、GDPの0.001%程度といわれています。
やっていけないとは言いませんが、もっと地道に長時間労働の是正をすることが、大切だと思います。政府の働き方改革実現会議では、焦点の「残業時間の上限規制」について、労使の意見が対立しています。
労働基準法では、1日8時間、週40時間の法定労働時間を超えて残業する場合、労使で協定を結ぶことになっています。その際、残業時間は、週45時間以内が望ましいとされていますが、強制力はありません。年に6ヶ月まで、残業時間を無制限にできる特例もあります。政府の案では、この月45時間の限度基準を法律で定め、違反した場合の罰則も定める、ということで、この点は、よいと思います。特例でも上回ることのできない残業の上限を年720時間(月平均60時間)としています。
しかし、政府は、脳・心臓疾患の労災認定の基準になっている「1ヶ月100時間超」「2?6ヶ月の平均で80時間超」の、いわゆる「過労死ライン」を上回らないようにする、としています。
忙しい時期の残業時間の上限を高くしてほしいという経済界の声に応えたものですが、労働団体や過労死で家族を失った人たちからは、「過労死ぎりぎりまで働かせることを認めることになりかねない」という懸念が出ています。
この懸念は、当然のことで、特例を多くすると、結局それを当たり前に認めることにつながりかねず、私も強く懸念しています。また、終業と始業の間に一定の休憩時間を設ける「インターバル規制」は、置き去りにされそうなことも心配しています。

ILO(国際労働機関)の条約では、11時間のインターバルが必要としています。
アドバルーン的に、プレミアムフライデーを実施することより、長時間労働を是正し、人間らしく過ごせる時間を確保する法整備などの対応が、超少子高齢社会の日本には、いろいろな意味で必要だと考えています。

■ メディア
【アベ小学校疑惑】森友学園側と価格交渉した役人は額に脂汗を浮かべていた
田中龍作


民進党調査団によるヒアリングの際、池田統括官(左)は苦悶の表情で顔をゆがませ、終始うつむいていた。=21日、大阪合同庁舎 撮影:筆者=
 安倍晋三記念小学校への国有地叩き売り疑惑で名前が飛び出した、近畿財務局の池田統括管理官は額に脂汗をびっしりと浮かべていた。
 池田統括官は2015年9月4日、午前10時から12時の間、近畿財務局9階の会議室で森友学園側と土地の売買価格の交渉をしたというのである ― きょう開かれた衆院予算委員会宮本岳志議員(共産)が追及した。
 民進党調査団が大阪で近畿財務局と大阪航空局からヒアリングした21日。
 福島のぶゆき議員らが「政治家からの働き掛けはありませんでしたか? 秘書から(の働き掛け)もありませんでしたか?」と迫ると、池田統括官は目を下に落とし真っ暗な表情になった。
 ヒアリングの後、記者団は財務局と航空局の囲み取材をした。池田統括官はその中にはいなかった。記者からではなく同僚の役人に囲い込まれていたのだ。「勧進帳」よろしく義経を隠す山伏たちのようだった。
 池田統括官は地下埋設物が見つかったとされる現場写真を撮影したことにされていた。あまりに不自然なため田中は池田氏に話を聴こうとした。
 同僚役人たちのガードを潜り抜け池田氏のそばまで行った。気の毒になるほど驚いた。
 氏は額に玉のような脂汗をびっしりと浮かべていたのである。目は虚ろだ。田中が話しかけても答えるのは同僚だった。
 建設業者が役人、それも財務局の役人と価格交渉をする。政治家(秘書)の口利きなしでできることではない。
 宮本議員の追及を境に疑惑は核心部分に入った。池田統括官の身辺が心配だ。

近畿財務局の9階会議室で会ったとされる設計業者も工事看板に名を連ねていた。=21日、瑞穂の國小學院建設現場 撮影:筆者=
?終わり?
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社会面
校庭、ごみ埋め戻す 森友学園用地、業者が証言
2017/2/25 夕刊

 大阪府豊中市の国有地を、学校法人「森友学園」(大阪市淀川区)が小学校建設用地として評価額より大幅に安い価格で取得していた問題で、ごみの撤去工事で土砂の搬出に関わった京都府の処理業者が「掘り出したごみが交じった土砂の半分程度は運び出さず、敷地内に埋めた」と証言していることが分かった。民進党玉木雄一郎氏が二十四日の衆院予算委員会の質疑で明らかにした。
 玉木氏によると、処理業者は昨年十一月、校舎建設を請け負う施工業者の下請け業者から依頼を受け、翌十二月まで二週間ほど作業。搬出を依頼された土砂は二千立方メートルほどで、費用八億円余りのごみ撤去作業の根拠となった、入れ替えるべき量の五分の一程度だった。
 この際「処分費がかかるから、できるだけ運び出す量を少なくして」と指示され、掘削した土砂を半分程度しか運び出さず、残りは運動場の予定地に埋めたという。
 大阪府松井一郎知事は二十四日、記者団に「豊中市は学校として使用する環境に問題がないとしてきたが、校庭になる場所に(ごみが)埋まっていることがはっきりしてきた」と述べ、開校を認めるかどうか再調査する考えを示した。

文化面
<土曜訪問> 青山俊董さん(尼僧)
2017/2/25 夕刊
曹洞宗の尼僧で、愛知専門尼僧堂堂長を務める青山俊董(しゅんどう)さん(83)が出した『泥があるから、花は咲く』(幻冬舎)が、昨年十二月の刊行以来、五刷七万部と版を重ねている。この本に込めた思いとは−。俊董さんが東京を訪れた機会に、話を聞いた。
 「とにかくわかりいい話を、と思いましてね」。法衣に身を包んだ俊董さんは、不思議に人を安心させる落ち着いた口ぶりで語った。「すべての人の、最高の生き方、最後の生き方を説くものが仏法だと思うんです。大事なのは『法』。サンズイに去ると書く。水が去る。引力のある地上では高きから低きに流れる。この、水が流れ去るという天地の道理。古今を超え洋の東西を超えて変わらぬ真理です。インドでは『ダルマ』といって、最高に生きるための生き方を説くものなんです。これをすべての人、特にこれから人生を生きる若い人にこそ聞いてほしい」
 今回の本では、そうした仏法を、理解を助ける具体例も入れながらつづった。「誰の人生にもいろんなことがある。それをどう受け止めて転じていくか。同じことも、受け止め方でマイナスにもプラスにもなる。喜び豊かな人生に切り替えることができますからね。仏教が伝来したときに、先祖供養を大事にする日本人に合わせて取り入れた葬式法事が主流になり、仏教といえば葬式だと思われてますが、本当は違うんです。仏法とはたった一度の自分の命を大事に生きるとはどういうことかを説くもの。その本来の仏法を問い掛けたいわけです」
 人はとかく病気や損、失敗、憎しみなど心にかなわないこと…いわば「泥」から逃げ、目をそむけようとする。しかし、そうした「泥」も、良き師、良き教えに出会うことで肥料と転じ、泥水があってこそ咲く蓮(はす)のように人生を美しく花開かせる。本にはそうした教えもつづられ、タイトルにもなっている。「本気、やる気というアンテナを立てる、その役をするのが『泥』。苦しみ悲しみですわね。次に大事なのは、良き師を求めること。人生を旅にたとえたら、師は間違いのない旅の案内人。良き師を通して良き教えに出会える。教えは大事だけれども、良き師を通さないと自分流に受け止め、小さな自分の物差しの範囲でしか理解ができない。だから良き師を得るのは大事なことです」
 ベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』の著者で、ノートルダム清心学園理事長を務めたシスター(キリスト教カトリック修道女)の渡辺和子さんと親交があり、本の帯文も渡辺さんが寄せた。渡辺さんは昨年末、亡くなった。「本当に残念です。和子先生は、私と同じことをおっしゃるんです。表現こそキリスト教的ですけど、よく似ている。先生の話を聞くたびに、『真理は一つ』だと思うんですよ。その真理を、広く宗教を超えて、民族を超えて問い掛けることができたらいいなあ、と。もう一つは、日本という同じ土壌で育った人間同士であること。唯識学で本有種子(ほんぬしゅうじ)という、ものの見方があります。生まれる前からいただいてきたものが私の中に流れている。手近にはわが家から、広げると日本人として、もっと大きくいえば東洋人としていただいてきたもの。江戸っ子気質とか大阪人気質なんていうのも本有種子の中にある。私も、カトリック系の学校に話に行くとシスターたちが私の話を『しっくりくる』と言うんですよ。これは本有種子の問題だと思うんです」
 五歳の時に長野県の曹洞宗無量寺に入門。十五歳で出家得度し、名古屋市正法寺・愛知専門尼僧堂で修行した。一九七六年から尼僧堂堂長に。二〇〇九年には同宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて就任した。寺で開かれる参禅会などの折に人生相談に訪れる人も多い。「人生相談の半分は『聞く』じゃないですか。聞くに徹する。相手もしゃべると自分の中で考えをまとめていかなきゃならないですからね。寺というところはね、一つはごみの捨て場だと思ってるんです。全部捨てればいいんです。そのごみを、こちらは仏法という炎で燃焼させて生きる力にして返す。それが寺だろうと思うんです」
 (岩岡千景)