朝鮮人性奴隷と沖縄捕虜収容所の悲劇

2016年6月19日東京新聞 朝刊
 【ソウル=上野実輝彦】旧日本軍の慰安婦問題に関する昨年末の日韓政府間合意に対し、肯定的な立場の元慰安婦女性(87)が本紙などの取材に答え、自らのようなつらい体験を「私たちの代で終わりにしたい」と語った。韓国では日韓合意後も、日本に国家賠償を求め合意に反対する声が強いが、賛成する元慰安婦が声を上げ一石を投じた形だ。
 日韓合意に対しては、市民団体「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会(挺対協)」などが、日本は法的責任を認めず国家賠償もしていないと批判。日本が拠出する十億円の支援も受けない方針を示している。一九九〇年代の「アジア女性基金」の受け取りを、挺対協が拒否した時と似た状況だ。
 取材に答えた元慰安婦女性は「合意は良かった。日本政府が過ちを認めたことに感謝する」と語り「日本が資金を出し(韓国が)財団を設立してくれる」と歓迎した。
 女性は現在の北朝鮮出身で「四四年、道を歩いていた時に巡査に拘束された。旧満州中国東北部)の慰安所に送られ、約一年後に逃げ出した」と話した。現在はソウル市内で一人暮らしだ。
 自らの過去を「汚れた歴史」と恥じ、家族にも隠してきた。安倍晋三首相が昨年、米国での演説で慰安婦を「人身売買の犠牲者」と呼んだことに対し「私は親に売られたのではない。冒涜(ぼうとく)している」との不満もある。
 韓国政府が登録した二百三十八人の元慰安婦のうち生存者は四十二人で平均年齢も九十歳近くなるなど、残された時間は長くない。女性は、韓国が設立する財団の支援を受け家賃などに充てるつもりだ。
 韓国内で合意への評価が割れ、先行きは不透明な状況だが、女性は「合意した通り(履行されるよう)両国政府を信じている」と、慰安婦問題の解決に強い期待感を示した。

中日新聞
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沖縄戦、米収容所で6400人死亡 民間人、栄養失調や感染症
2016/6/19 朝刊
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 米軍が一九四五年四月に沖縄本島に上陸して以降、占領地域に設けた収容所で計約六千四百人の民間人が死亡していたことが、本紙と沖縄社会経済史研究室主宰の川平(かびら)成雄・元琉球大教授の共同調査で分かった。各地の収容所の総人数はピーク時に三十三万人を超え、栄養失調や感染症による死亡者が続出。米軍の保護下での食糧不足などで、収容された住民に多大な犠牲が出ていた実態が浮き彫りとなった。
 米軍は沖縄戦で、占領した地域から順に軍政を敷き、民間人収容所を設けた。共同調査では、少なくとも二十二カ所の収容所で計六千四百二十三人の死者が出ていたことが判明。各地の収容所は統廃合の末、四五年十月ごろには十六カ所に集約され、大半が四六年までに閉鎖された。
 収容所の所在地を現在の自治体に当てはめると、うるま市以北の名護市、宜野座村など、沖縄本島北部四自治体にあった十三収容所の死亡者が計約三千四百人に上り、全体の半数以上を占めた。日本軍が四五年五月に南部に撤退した後、米軍は取り残されたりした中南部の住民の大半を北部の収容所に送り、死者数も増えた。死亡者数が最も多かったのは、南部の知念(現南城市)の収容所で二千四十二人。
 死因が判明しているのは一部の収容所に限られるが、大川(現名護市)ではマラリア感染で七百人が死亡し、汀間(ていま)(同)の死者二百三十六人のうち、半数近くの九十八人の死因が胃腸病だった。
編集委員・吉原康和)
◆収容所単位で抽出
 <調査の方法>調査は、米軍の民間人収容所で亡くなった住民の死者数を、収容所単位で抽出することに主眼を置いた。
 死亡者の氏名、年齢、出身地、死没年月日などが記された古知屋(こちや、現宜野座村)や瀬嵩(せだけ、現名護市)など四カ所の収容所の共同墓地の埋葬者名簿や墓地台帳をはじめ▽住民への聞き取り調査などに基づく収容所に関する市町村史▽収容所に勤務していた米兵の日誌−などに記述がある収容所の死者数を集計。自治体には可能な限りデータの根拠を確認した。
 市町村史に出身者の死者数の記録があっても、共同墓地の埋葬者名簿や墓地台帳にその市町村出身の死亡者名がある場合は、重複を避けるため集計から除外した。