仏陀のことばより、蛇の章

5167…仏陀のことばより、蛇の章…
2015/03/12 21:34
岩波文庫ブッタのことば、中村元訳  より引用



蛇の章

五、チュンダ

83 鍛冶工の子チュンダがいった、「偉大な智慧ある聖者・目覚めた人・真理の主・盲執を離れた人・人類の最上者・優れた御者に、わたくしはおたずねします。ーー世間にはどれだけの修行者がいますか?どうぞお説きください。」

84 師(仏陀)は答えた、「チュンダよ。4種の修行者があり、第五の者はありません。面と向かって問われたのだから、それらをあなたに明かしましょう。ーー〈道による勝者〉と〈道を説く者〉と〈道において生活する者〉と及び〈道を汚す者〉とです。」

85 鍛冶工チュンダはいった、「目覚めた人々は誰を〈道による勝者〉と呼ばれるのですか?また〈道を習い覚える人〉はどうして無比なのですか?またおたずねしますが、〈道によって生きる〉ということを説いてください。また〈道を汚す者〉をわたくしに説き明かしてください。」

86 「疑いを超え、苦悩を離れ、安らぎ(ニルバーナ)を楽しみ、貪る執念をもたず、神々と人々を導く人、ーーそのような人を〈道による勝者〉であると目覚めた人々は説く。」

87 この世で最高のものを最高のものであると知り、ここで法を説き判別する人、疑いを絶ち欲念に動かされない聖者を、修行者たちのうちで第二の〈道を説く者〉と呼ぶ。

88 みごとに説かれた〈理法にかなったことば〉である〈道〉に生き、みずから制し、落ち着いて気をつけていて、とがのないことばを奉じている人を、修行者たちのうちで第三の〈道によって生きる者〉と呼ぶ。

89 善く誓戒を守っているふりをして、ずうずうしくて、家門を汚し、傲慢で、いつわりをたくらみ、自制心なく、おしゃべりで、しかも、まじめそうにふるまう者、ーー彼は〈道を汚す者〉である。

90 (かれらの特徴を)聞いて明らかに見抜いて知った在家の立派な信徒は『かれら(4種の修行者)はすべてこのとおりである』と知って、彼らを洞察し、このように見ても、その信徒の信仰はなくならない。かれはどうして、汚れた者と汚れていない者と、清らかな者と清らかでない者とを同一視してよいであろうか。」


解説抄

チュンダ この一連の詩句はパーヴァーにおいて師仏陀が鍛冶工チュンダに説いた説法の要領を後代の人がまとめたものである。実際の説法はもっと長く行われたにちがいないが、後の人がこのように短く、しかも問答体の詩にまとめたのであると考えられる。

チュンダの職業はカンマーラの子であるということになっている。普通、鍛冶工、と解せられるが、インドでは金細工人、銀細工人、鉄や銅の鍛冶工が特に区別されることはなかった。従って「金属細工人」と訳した方がよいかもしれない。

チュンダは釈尊並びに弟子たちを招待し得たのであるから富裕な人であったにちがいない。しかしインドのcaste社会においては、鍛冶工や金属細工人は賎しい職業と見なされ、蔑視されていた。

その招待を釈尊は受け入れたのである。

ここに、われわれ2つの注目すべき歴史的特徴を認めることができる。

(1) 当時、漸く富裕となりつつあったが、社会的に蔑視されていた人々は、新しい精神的な指導者を求めていた。

(2) ゴータマ・仏陀の動きは当時の、この階級的差別打破の要求に応えたものであった。