横浜事件を生きて

【社会】
横浜事件」の発端、富山の旅館 「共謀罪」戒めの地に
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2017年4月12日 夕刊
細川嘉六(後列中央)らが「紋左」の庭で撮った記念写真。この写真が横浜事件のきっかけとなった=1942年7月、平館道子さん提供
 新潟県との県境にある富山県朝日町の老舗旅館「紋左(もんざ)」は戦争中、治安維持法による言論弾圧横浜事件」の発端の地となった。「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案が国会で審議入りし、治安維持法の再来を懸念する声が強まる中、市民団体が訪れ、事件の教訓を学び取ろうとする動きが出ている。 (伊東浩一)
 「これが危険を企てる秘密の会議に見えますか」
 事件を研究している地元グループ代表の金沢敏子さん(65)=同県入善町=が、一枚の写真を見せながら問い掛けた。紋左の一室で耳を傾けるのは、金沢市の市民団体「石川県平和委員会」が募った「平和の旅」の一行二十八人。
 写真の中で、朝日町出身の国際政治学者・細川嘉六(かろく)らが浴衣姿で穏やかな表情を浮かべる。だが、一九四二年に紋左で撮影されたこの集合写真を基に、神奈川県警特別高等課(特高)は細川らが共産党再建準備の会合を開いたとして、関係者を投獄していった。
 「紋左に泊まった細川らは、船遊びをし、料亭に芸者を呼んで酒を飲んだ。そういう写真の中から警察は一枚の写真だけを問題にし、拷問で事件をでっち上げた」。金沢さんの言葉にも力がこもる。「治安維持法が拡大解釈され、少しでも戦争に批判的とみられる人たちが取り締まりの対象になった」と解説した。
金沢敏子さん(右)から横浜事件について説明を受ける参加者たち=富山県朝日町沼保の旅館「紋左」で
 石川県中能登町から参加した山下美子さん(70)は「仲間と政治の愚痴を言っただけで密告され、捕まる恐れがあるかと思うと寒けがする」。法政大名誉教授で同県白山市の須藤春夫さん(74)は「共謀罪も何が違反かを決めるのは捜査機関。逮捕されなくても、警察が調べに来るだけで市民は萎縮する。政府に批判的な動きを抑えるのが真の狙いでは」と警戒した。
 紋左には八月に東京からツアーが見学に来る予定。経営者の柚木(ゆのき)哲秋さんは「近年、横浜事件を目的に訪れる人は途絶えていたが、再び関心が高まっている」と話している。
 横浜事件 1942年、細川嘉六(1888〜1962年)が雑誌「改造」の掲載論文を「共産党の宣伝」と批判され、警視庁に治安維持法違反容疑で逮捕された。その後、神奈川県警特別高等課(特高)が押収した紋左の写真をもとに、細川らが共産党再建準備会を開いたとして、同容疑などで言論、出版関係者ら60人以上を投獄。拷問で4人獄死、30人余りが起訴される戦時下最大の言論弾圧事件となった。2010年2月、元被告5人の刑事補償を巡る横浜地裁決定は「共産党再建準備会の事実を認定する証拠はない」とし、「実質無罪」と認められた。
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横浜事件言論弾圧語る写真 元ディレクターが語り継ぐ
2017年05月02日


細川嘉六(後列中央)らが旅館「紋左」で撮った記念写真を手に「横浜事件を知ってほしい」と話す金沢敏子さん=富山県朝日町で

 戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」。その発端となった富山県朝日町の旅館で撮影された1枚の写真を手に、地元民放の元ディレクターが事件を語り継いでいる。「共謀罪」の成立要件を改めた「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案が国会で審議される中、「権力による弾圧がいかに恐ろしいか。事件を知らない人に伝えるため全国で講演したい」と訴える。

 元北日本放送ディレクターの金沢敏子さん(65)。横浜事件の中心人物で朝日町出身のジャーナリスト、細川嘉六(1888〜1962)研究会の代表者を務める。

 金沢さんは、旅館の隣町、入善町在住だが2005年の再審開始決定まで、横浜事件発端の地だと知らなかった。取材を始め、07年にドキュメンタリーを制作する中で出合った1枚の写真から冤罪(えんざい)の恐ろしさを学んだ。

 1942年7月、細川が出版編集者や研究者ら7人とともに旅館「紋左(もんざ)」で開いた慰労会で撮影された記念写真。特高警察はこれを「共産党再建準備会」の会合の証拠とした。金沢さんによると、船遊びなど旅行の様子が複数枚撮られていたが、警察はこの1枚を問題にした。「浴衣姿の写真を見て、危険を企てる秘密会議に見えますか」と金沢さん。料理旅館として営業を続ける紋左には今も事件を知ろうと訪れる人がおり、依頼を受ければ、写真を見せながら事件を語る。

 治安維持法は1925年の成立後、改正で取り締まりの対象が広がり、思想や言論弾圧の手段となった。拷問が使われ、歯止めがきかなくなった歴史がある。

 国会で審議中の「テロ等準備罪」について金沢さんは「お墨付きを一度与えてしまえば、治安維持法のように取り締まりの範囲が拡大される恐れがある」と強く反対する。フェイスブックツイッターなどSNSが普及した今の社会を踏まえ、「写真の後ろに写った人物が共犯者と考えられるかもしれないし、何気なくつぶやいた中傷が拡大解釈されるかもしれない。冤罪によって日常生活がどう変わってしまうかを考えるきっかけとして横浜事件を語りたい。写真1枚を持ってどこへでも行きます」と語気を強めた。問い合わせは金沢さん(0765・72・2565)。【鶴見泰寿】



横浜事件を生きて
 戦時下の最大の言論弾圧事件と言われる「横浜事件」だが、その全容はほとんど知られることはなかった。事件は1942年から45年にかけて多数の ジャーナリスト・知識人が検挙され、事実無根の共産党再建をでっちあげられ特高から激しい拷問を受けたもの。死亡者も出た。慰安旅行の1枚の写真(右下) が、共産党再建準備会の証拠とされた。拷問による自白をもとに有罪とされたが、戦後関係者が立ち上がった。このビデオはその生き残りのひとりである木村亨 さん(写真左・右の写真の下段)の再審請求のたたかいを中心に構成されている。今も続いている事件なのだ。元特高警察官が電話インタビューで語る本音。古 いニッポンはまだ生きていた。平成の治安維持法共謀罪」を考える恰好の素材でもある。(1990年・58分・5000円)  申し込みはこちらから。


 ★万人に見てほしい=白井佳夫(映画評論家)

 ビデオ「横浜事件を生きて」は、抑制の効いたリアリズムで日本の歴史のなかにある重要な事件を、万人にわかる形で映像化したきわめてユニークな 作品である。この題材は、もっとセンセーショナルにもっとイデオロギー的に、あるいは過激に映像化することも可能であったはずである。しかし、この映像の 作者はそれをやらなかった。まるで NHKテレビに放映されてもまったくおかしくないような抑制力と普遍的な映像表現力で、それを誠実にビデオ化した。1990年代の日本で、映像を使って表 現されるものは、このような形でなければならないと私は思う。あえてこのビデオを万人が見てくださるように願うゆえんである。

★「昭和」考えるヒント=土本典昭(記録映画監督)

 ビデオという方法を活かしたいい作品ができた。今まで横浜事件のことを知らなかったことが、まずいくらいの感じがしたが、その知らなかった引け目を感じ させないで見せてくれた。事件の発端となった紋左旅館の思い出から入って、時代背景を見せていく進め方、そして最後に現代の警察制度への問いかけ。二人の 特高が現在も生きていて、それをナマに木村亨さんにぶつけた時の効果もまずまず出ていた。話題性、発見性もある。この作品は、いわばテキスト映画という か、みんなで見て、改めて「昭和」を考え直すヒントになるだろう。

 *DVDのネット申し込みはこちらから。
  TEL03-3530-8588 FAX03-3530-8578 ●続編「横浜事件の問い」(35分・3500円)もあります。 
<新着情報>
 ・『毎日新聞』(横浜版・2005年12月6日号)に紹介記事。こちらへ。



あとおいニュース >
第31回 憲法を考える映画の会「横浜事件を生きて」報告
公開日:2017/01/31: あとおいニュース
第31回憲法を考える映画の会報告 2017年1月30日の「レイバーネット・ニュース」で、1月29日の憲法を考える映画の会の様子について,『横浜事件を生きて』の監督の松原明さんから紹介いただきました。
会の報告として掲載させていただきます。S.H.
いまに通じる怖さ〜治安維持法共謀罪を考える『横浜事件を生きて』上映会
松原 明(ビデオプレス) 1月29日、東京・千駄ヶ谷区民会館で『横浜事件を生きて』『横浜事件−半世紀の問い』の上映会が開かれ、100名以上が集まり大盛況だった。戦時下のジャーナリスト弾圧を描いた『横浜事件を生きて』(1990年・ビデオプレス作品)をなぜいま上映するのか? 主催者の「憲法を考える映画の会」の花崎哲さんはこう語った。「いま進められようとしている共謀罪が、いかに戦前の治安維持法と同じ危険性をはらむものなのか、国民の人権や民主主義を破壊するのなのか。その手がかりになる映画を探していてこの作品に出会った」と。横浜事件は、1942年から44年にかけて起きた治安維持法事件で、ジャーナリストら約60人が逮捕され、拷問のすえ4人が獄死した事件である。映画はその史実をわかりやすく生々しく伝えている。
*感想を述べる武蔵大学永田浩三さん 上映後の反響は大きかった。会場からは、「不条理を感じた。二度と繰り返してはならない」「素晴らしい。拷問被害を受けた当事者の生の証言が重たい」「いまこの国に流れている危うい空気と同じものを感じた」「共謀罪問題でタイムリーな企画。遠くから観に来たかいがあった」など感想が語られた。 私も制作者としてコメントした。「取材で印象的だったのは、拷問をした元特高がまったく反省せずに、“あのころも法治国家でしてね”と居直るところ。彼らは多少の行きすぎがあっても、治安維持法という法律を守っただけで悪いことをしたとは微塵も思っていない。そして、戦後もぬくぬくと生きてきた。治安維持法はアジアの侵略戦争を支えたが、共謀罪もそうした言論弾圧の役割を果たすのではないか。あの時代を繰り返さないためにも、『横浜事件を生きて』を多くの人に観てほしい」と話した。 横浜事件被告木村亨さんの妻である木村まきさん(写真上)も参加した。横浜事件は再審裁判が行われ、2010年横浜地裁で「免訴判決」で終結をみたが、まきさんは、いまも再審遅延の責任を問う「横浜事件国賠訴訟」をたたかっている。裁判の大きな争点の一つが、裁判所自ら戦後のどさくさに判決文など重要書類を焼却したことだった。司法が自ら証拠書類を隠滅した、そのため横浜事件の再審裁判は困難を極め、事実上の無罪とはいえ「免訴」という中途半端な終結をみたのである。会場からも「裁判所の証拠隠滅は犯罪として問えないのか?」などの質問が相次いた。まきさんは、「そのためにもいま裁判でたたかっている。焼却した目撃証言や資料も次々と見つかっている。頑張りたい」と答えた。
●DVD『横浜事件を生きて』(1990年・58分・ビデオプレス)、続編にあたるDVD『横浜事件−半世紀の問い』(1999年・35分)は以下のサイトから購入できます。ご活用ください。 →ビデオプレスHP『横浜事件を生きて』 *なお、1月31日(火)午後9時からのアベマTVで「共謀罪横浜事件」を放送するとのこと。上映会当日も取材に来ていました。『横浜事件を生きて』の映像も使う予定。
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