船舶実習でパワハラ存在はあるだろう

2017-08-30 20:21
◎同一船で自殺・未遂相次ぐ=第三者委が背景調査―海技教育機構
 船員の養成学校を運営する独立行政法人海技教育機構」(横浜市)は30日、東京・霞が関で記者会見し、練習船「青雲丸」の実習生3人が7月に自殺、同未遂、失踪したと発表した。いじめやパワハラは確認されていないが、機構は同じ船で相次いだことを重くみて、第三者委員会を設けて背景を調査。国土交通省も対策本部を設置した。
 機構によると、3人はいずれも海技大学校2年の男性。7月から青雲丸に乗り、約3カ月間の訓練中だった。このうち19歳の学生は7月13日、沖で停泊中の青雲丸から海に飛び込んだ。陸にたどり着いて無事だったが、大学の教員に自殺を図ったと明かし、「船に乗るのが嫌になった。船員の仕事が不安になった」と話した。
 同21日には20歳の学生が実習継続の悩みを教官に打ち明け、下船して帰省。24日に保護者と本人から戻る旨の連絡があったが、28日に名古屋市内で自殺したことが判明した。30日には、自由時間に上陸していた21歳の学生が「船の道に進みたくない。失踪する」と保護者らにメールし、今も行方不明となっている。 
時事通信社


中日新聞社説です

社説
七十二年六日九日十五日 週のはじめに考える
2017/8/27 紙面から
 広島、長崎の原爆忌、そして終戦の日。戦争にからむ特別な日を三つながらに抱え込んだ八月が、なお喧(かまびす)しい蝉(せみ)時雨の中で暮れていきます。
 またか、と思われるかもしれません。この月に戦争関連の報道が集中することを皮肉った「八月のジャーナリズム」なる言葉もあるぐらいですから。でも、ここは一つ、少し開き直って、改めて戦争の話をさせていただくことにします。あの戦争以後に巡ってきた八月の中で、もしかすると朝鮮戦争時以外では最も戦争に接近した八月かもしれないと思うからです。
北朝鮮と米国

 言うまでもなく、ミサイルで威嚇する北朝鮮の問題です。実際、マクマスター米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は十三日、米テレビでこう語っています。「一週間前と比べ、われわれが戦争に近づいたとは思わないが、十年前と比べたら近づいている」
 北朝鮮をめぐる情勢が緊迫したことはこれまでにもありましたが、今度はいくつかの点でかなり事情が異なります。彼(か)の国の指導者の思考が読めないのは相変わらずだとしても、米国では、理性的とも冷静とも言い難い人物が大統領のいすに座っています。
 まったく、最近の米朝による言葉の応酬を聞いているとハラハラしてなりません。
 「北朝鮮は炎と怒りに直面する」(トランプ大統領)とか「無慈悲な報復と懲罰を免れない」(朝鮮人民軍の幹部)とか、表現は次第にエスカレート。頼りない外交チャンネルしかない以上、首脳らが発言に込めるメッセージが持つ意味は大変重いはずですが、含意は少しも感じられません。
 さらに、言葉の魔力とでも言うのでしょうか。オバマ政権で統合参謀本部議長を務めたマイケル・マレン氏の指摘には、いささかの恐怖さえ覚えます。
 「(トランプ氏の言葉は)彼自身の行動を縛ることになる。制御できない事態に陥る恐れがある」
戦争に近づく

 気になることはもう一つ。Wartime President(戦時の大統領)の効用です。就任後、決して評価の高くなかったブッシュ大統領(子)は「9・11」後、アフガニスタン戦争で急速に支持を高めました。さらにイラク攻撃に向かうか、という時、ある米国の政治学者は語ったものです。「経済と取り組むより戦争の方が楽だと思っているのでは」
 支持率低迷が続くトランプ大統領です。政権浮揚に必死になるあまり、「戦時の大統領」の“誘惑”に近寄っていく…。考えたくありませんが、ロシアゲート、相次ぐ政権高官の辞任など現状の体たらくをみれば、そんなことまで心配になってきます。
 そして、三つ目は、まさに、わが国の事情に、これまでの北朝鮮危機の際とは大きな違いがあります。つい一年半前、米国の軍事行動に加わることに道を開く安保関連法が施行されてしまっている点です。この国を「戦える国」に変質させたとも評されますが、事実、北朝鮮が米領グアム島周辺へのミサイル発射計画を明かした時、小野寺防衛相は、もし発射されれば、安保関連法に基づき集団的自衛権を行使して迎撃することは可能、との見解を示しています。
 ですから、仮に、安保関連法が「戦争法」でなかったとしても、自ら戦争に近寄っていく振る舞いであることは間違いないでしょう。この上はもう一歩、いや一ミリたりとも戦争に近づかない。それが肝要です。
 有名な渡辺白泉の<戦争が廊下の奥に立つてゐた>の句が詠まれたのは、戦前の一九三九年。時代下って、現代歌人の一人はこう詠んでいます。<奥行きのある廊下など今は無く立てずに浮遊している、なにか>松木秀。日常に忍び込んでくる戦争は今、より一層、見えにくくなっている、と考えた方がよいかもしれません。
 確かに、戦争は、はっきり姿を現すまでの間は戦争の顔をしていないでしょう。よく持ち出されるラテン語の警句、<平和を欲するなら、戦争の準備をせよ>のように、時には平和の顔を装うことさえあるはずです。
 ですから、私たちは、戦争がはっきり戦争の顔をするずっと前から、そのにおいや気配(あるいは「浮遊している、なにか」)に敏感に、拒絶の声を上げていくほかない。きっと過敏なぐらい、心配性なぐらい、くどいぐらいでちょうどいいのです。
平和を思う月

 <七十年 六日九日十五日>高塚鎭昭。これは二年前、戦後七十年を記念して出版社の六曜社が公募した川柳作品の優秀作です。この国では、ただそう言うだけで、それだと分かる「平和を思う月」を送りながら、不戦への思いをさらに強くします。