過去の真摯な反省なくば 年末年初に津地鎮祭判決を読む

東京新聞記事より

【政治】
「戦後の反省」忘れず 政治部長・金井辰樹
Tweet
2016年12月29日 朝刊
 「パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを私は願います」。真珠湾安倍晋三首相が言いたかったことは、この一節に凝縮されている。「パールハーバーを(中略)記憶し続ける」の部分が英文では「リメンバー パール ハーバー」となっている。「リメンバー…」は奇襲攻撃を仕掛けた日本に対する米国人の憎悪の言葉。この日の演説で、憎悪の記憶を和解の記憶に昇華しようという意図が浮かぶ。
 第一次政権の時から「戦後レジーム(体制)からの脱却」という言葉を使い、積極的平和主義を標ぼうする安倍首相。昨年は戦後七十年の首相談話を出し、韓国と慰安婦問題で合意、今年はオバマ米大統領とともに広島を訪問した。今はロシアとの北方領土交渉に意欲をみせる。いずれも戦後七十一年間の負の遺産に、自分の手で幕を引き、未来に目を向けようという発想でつながる。その延長線上に真珠湾訪問があるから、十七分間の演説は「未来志向」が突出し、過去への謝罪の言葉はなかった。
 しかし「未来志向」は、日本の戦争責任を修正しようとしているとの批判と表裏一体だ。今も国内やアジア諸国から警戒の目を向けられている。日米の歴史学者有識者らは安倍首相に公開質問状を突きつけた。質問状では、過去の大戦について謝罪し侵略戦争と認める考えがあるか、そして米国に続き中国やアジア諸国への慰霊の旅を続ける予定があるかを首相に問うているが、演説からは答えは見えない。
 安倍首相と和解と同盟強化を確認しあったオバマ大統領さえ真珠湾を「今も涙を流す海」と表現。まだ戦争の傷痕が残っているという考えをにじませている。この日の真珠湾訪問が、誤った戦争をしたことへの「戦後の反省」を記憶し続ける機会となってほしい。

地鎮祭判決から

■ 裁判官藤林益三、同吉田豊、同団藤重光、同服部高顕、同環昌一の反対意見

 裁判官藤林益三、同吉田豊、同団藤重光、同服部高顕、同環昌一の反対意見(裁判官藤林益三については、本反対意見のほか、後記のような追加反対意見がある。)は、次のとおりである。
一 憲法における政教分離原則
[1] 信教の自由は、近代における人間の精神的自由の確立の母胎となり、自由権の先駆的な役割を果たし、その中核を形成した重要な基本的人権であり、現代の各国の憲法において、精神生活の基本原則として、普遍的に保障されているものである。わが憲法も、20条1項前段において「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」と規定して信教の自由を無条件で保障するとともに、同項後段において宗教団体に対する特権の付与及び宗教団体の政治権力の行使の禁止を、2項において宗教上の行為等に対する参加の強制の禁止を、3項において国及びその機関の宗教的活動の禁止を、また、89条において宗教上の組織・団体に対する財政援助の禁止をそれぞれ規定し、あらゆる角度から信教の自由を完全に保障しようとしている。
[2] そもそも信教の自由を保障するにあたつては、単に無条件でこれを保障する旨を宣明するだけでは不十分であり、これを完全なものとするためには、何よりも先ず国家と宗教との結びつきを一切排除することが不可欠である。けだし、国家と宗教とが結びつくときは、国家が宗教の介入を受け又は宗教に介入する事態を生じ、ひいては、それと相容れない宗教が抑圧され信教の自由が侵害されるに至るおそれが極めて強いからである。このことは、わが国における明治維新以降の歴史に照らしても明らかなところである。
[3] すなわち、明治元年(1868年)、新政府は、祭政一致を布告し、神祇官を再興し、全国の神社・神職を新政府の直接支配下に組み入れる神道国教化の構想を明示したうえ、一連のいわゆる神仏判然令をもつて神仏分離を命じ、神道純化・独立させ、仏教に打撃を与え、他方、キリスト教に対しては、幕府の方針をほとんどそのまま受け継ぎ、これを禁圧した。明治3年(1870年)、大教宣布の詔によつて神ながらの道が宣布され、同5年(1872年)、教部省は、教導職に対し三条の教則(「第1条 敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキ事 第2条 天理人道ヲ明ニスヘキ事 第3条 皇上ヲ奉戴シ朝旨ヲ遵守セシムヘキ事」)を達し、天皇崇拝と神社信仰を主軸とする宗教的政治思想の基本を示し、これにより、国民を教化しようとした。また、明治4年1871年)、政府は、神社は国家の宗祀であり一人一家の私有にすべきでないとし(太政官布告第234号)、更に、「官社以下定額及神官職員規則等」(太政官布告第235号)により、伊勢神宮を別として、神社を官社(官幣社国幣社)、諸社(府社、藩社、県社、郷社)に分ける社格制度を定め、神職には官公吏の地位を与えて、他の宗教と異なる特権的地位を認めた。明治8年(1875年)、政府は、神仏各宗合同の布教を差し止め各自布教するよう達し、神仏各宗に信仰の自由を容認する旨を口達しながら、明治15年(1882年)、神官の教導職の兼補を廃し葬儀に関与しないものとする旨の達(内務省達乙第4号、丁第1号)を発し、神社神道を祭祀に専念させることによつて宗教でないとする建前をとり、これを事実上国教化する国家神道の体制を固めた。明治22年(1889年)、旧憲法が発布され、その28条は信教の自由を保障していたものの、その保障は、「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という制限を伴つていたばかりでなく、法制上は国教が存在せず各宗教間の平等が認められていたにもかかわらず、上述のようにすでにその時までに、事実上神社神道を国教的取扱いにした国家神道の体制が確立しており、神社を崇奉敬戴すべきは国民の義務であるとされていたために、極めて不完全なものであることを免れなかつた。更に、明治39年法律第24号「官国幣社経費ニ関スル法律」により、官国幣社の経費を国庫の負担とすることが、また、同年勅令第96号「府県社以下神社ノ神饌幣帛料供進ニ関スル件」により、府県社以下の神社の神饌幣帛料を地方公共団体の負担とすることが定められ、ここに神社は国又は地方公共団体と財政的にも完全に結びつくに至つた。このようにして、昭和20年(1945年)の敗戦に至るまで、神社神道は事実上国教的地位を保持した。その間に、大本教ひとのみち教団創価教育学会、日本基督教団などは、厳しい取締・禁圧を受け、各宗教は国家神道を中心とする国体観念と矛盾しない限度でその地位を認められたにすぎなかつた。そして、神社参拝等が事実上強制され、旧憲法で保障された信教の自由は著しく侵害されたばかりでなく、国家神道は、いわゆる軍国主義の精神的基盤ともなつていた。そこで、昭和20年(1945年)12月15日、連合国最高司令官総司令部は、日本政府にあてて、いわゆる神道指令(「国家神道神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」)を発し、これにより、国家と神社神道との完全な分離が命ぜられ、神社神道は一宗教として他の一切の宗教と同じ法的基礎のうえに立つこと、そのために、神道を含むあらゆる宗教を国家から分離すること、神道に対する国家、官公吏の特別な保護監督の停止、神道及び神社に対する公けの財政援助の停止、神棚その他国家神道の物的象徴となるものの公的施設における設置の禁止及び撤去等の具体的措置が明示された。
[4] 憲法は、信教の自由が重要な基本的人権であり、その保障のためには国家と宗教との分離が不可欠であるにもかかわらず、前述のように旧憲法のもとにおいては、信教の自由の保障が不完全であり、国家と神道との結びつきにより種々の弊害が生じたにがい経験にかんがみ、神道指令の思想をも取り入れ、20条1項前段において信教の自由を無条件で保障するとともに、その保障を完全にするために前記の諸規定を設けるに至たつものと考えられる。
[5] 以上の点にかんがみると、憲法20条1項後段、同条3項及び89条に具現された政教分離原則は、国家と宗教との徹底的な分離、すなわち、国家と宗教とはそれぞれ独立して相互に結びつくべきではなく、国家は宗教の介入を受けずまた宗教に介入すべきではないという国家の非宗教性を意味するものと解すべきである。
[6] 多数意見は、国家と宗教との完全な分離は理想にすぎずその実現は実際上不可能であり、政教分離原則を完全に貫こうとすればかえつて社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れないから、政教分離規定の保障による国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があり、わが憲法における政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いがわが国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないものであるとし、その意義を限定的に解しようとするのである。しかしながら、多数意見のいう国家と宗教とのかかわり合いとはどのような趣旨であるのか必ずしも明確でないばかりでなく、そのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものと認められる場合とはどのような場合であるのかもあいまいであつて、政教分離原則を多数意見のように解すると、国家と宗教との結びつきを容易に許し、ひいては信教の自由の保障そのものをゆるがすこととなりかねないという危惧をわれわれは抱かざるをえないのである。なお、われわれのような国家と宗教との徹底的な分離という立場においても、多数意見が政教分離原則を完全に貫こうとすれば社会の各方面に不合理な事態を生ずることを免れないとして挙げる例のごときは、平等の原則等憲法上の要請に基づいて許される場合にあたると解されるから、なんら不合理な事態は生じないのである。
二 憲法20条3項により禁止される宗教的活動